「私は勝手に生きづらいけどそれは貴方には関係ないから」2019年4月22日の日記
予定がないのに早く起きてしまって、ぼーっとした後13時頃に「あっプリチャンしに行こう!」と思って、そう言えば今日発送の郵便物の梱包してないからそれやってたらだらだらしてしまって結局全部やらなかった。
そう言えば!『奇子』東京公演ご用意されました!FC入って初めての申し込みで当選!
ヤッターご用意されたー!って呟いたら仲良くしている五関担さんが東京公演全滅していて申し訳ない気持ちに…
私第一希望平日昼に1枚ぶっこんだから取れやすかったのかなとは思う。
ああーしかし本当に取れて良かった。FCで取れなかったら諦めるしかなかった。
一応ストーリーの粗筋はラストまで知っているけれど、作品は屋敷さんの演出のものを最初に見たい。
振り込み忘れないようにしないと。明日こそ行きます。
私は自分を弱者だと思っていないし、そのように見られようともしていないのに、たまにそうであるかのように理解されることがあってビックリする。自分が勘違いしているだけなのかもしれないけど。
— ダ・ダ・恐山 (@d_d_osorezan) 2019年4月22日
よく同じようなことを発信されてるから、本当によく思われてるんだろうなと。
多分『当たり前のことが普通に出来る人』からしたら彼のミスの量は普通より多く感じるだろうし、自分がこのレベルの失敗していたらと考えると『今の自分より大変そう、この人生きづらいだろうな』と思うのではないか。
私は彼と同じようなミスを同じような頻度で繰り返し、彼と違って他に才があった訳ではなく弾かれて最底辺にいるし、更にメンヘラだから生きづらいんだけど、彼がミス自体は生きづらいことではないとして存在してくれるのが救いになっている。
と、まあそんなことを言うと
実在の誰かをコンテンツとして応援しようとしたことは(『推し』を作ろうとしたことは)何度かあるけど、その人の人生の重みを間接的にでも実感するプレッシャーが勝ってしまうので中々自分には難しい。Vの人とかでもアイデンティティが魂のリアルにあるので厳しい。
— ダ・ダ・恐山 (@d_d_osorezan) 2019年4月22日
これとは反してしまうが、私は彼になりたい訳ではないので、申し訳ないがコンテンツとして推させて頂く。応援したい。勝手だけれども。
才能が好きなんだよー!!感性が好きなんだよー!!